何も見ずに、わからない形を描きはじめるのは論外として… 重要なことはむしろ何を見るか、どれを参考にするかの選球眼がその人の持ち味であり、センスと言える。 何も見ずに描こうなどという曲芸師的な部分がセンスと勘違いしている間は絶対に上手くなりません。絶対に…
絶対上手く描ける条件下で描く!! 例えば「アニメ私塾」「添削」で画像検索かければ無数の素体が手に入ります。 そこに好きなキャラをのせたらそれでポートフォリオになりませんか? しっかり色までぬればもう立派な作品。 ただし、何と何を選ぶか、またはアレンジに練度がいるわけです。
自分よりも上手い人の素体(ベース)にキャラをのせるのはアニメ業界では演出作画監督修正の流れで普通に原画マンがやっていることです。
第二原画などと呼ばれるのがそれ。
元アニメーター出身演出などなら作画監督自身がそれにまわることもしばしば。
集団創作の過程で普通のことです。
漫画でも…
漫画家のネームをアシスタントが下書きしてそれを漫画家自身が修正を兼ねてペン入れする、システムを取っているところもあるようです。
他人を一旦入れることで見えるコラボの面白さもあるのでしょう。
なんにせよ良いものが上がればどんな手を使ってもいいのが絵です。
オリジナル幻想の原因…
小・中学生の子を見ると好きな漫画やキャラの模写になんら抵抗もなく描いている。
それがどうしたことか高校大学の受験を通過した年齢以降からカンニング=ズル症候群に陥り、他人の絵を見てはいけません洗脳になっている。
見ないで描く状態って採用試験以外ないよ。
世に中には無限にあるレゴブロックのようにもはや素材は用意されている。
それをどう組み合わせて何を作るかしかない。
新しい素材から作ろうなどと考えればそれは先人の積み重ねを無視した不毛な行為で稚拙な表現にしかならない。
世の作品は全てそうだ!!という構造がわからないと創作は始らない
例えばいきなり自分で考え出したコスチュームを着せてみました!!…となるとそれは大概「なんか変…」にしかならない。
服にも歴史があり、みんなそれをぼんやりと見知っている。
それ以外のモノを当てずっぽうで描いたら世界の歴史、文化を無視することになるのでそりゃ「なんか変…」になる。
つまり資料を使うときは可能な限り忠実に正確に使うこと。
全く新しいファンタジーの服だって必ず元ネタを使っている。
超異世界超未来でもなぜか和服のアレンジみたいのもあるように…
全くみたことないものは違和感にしかならないので必ず有りモノの機能を利用する。
襟が大きくなる人が多いが襟の元の昨日は首の汗を服につけないためにある。
なので襟を立てるとちょうど首の長さに等しくなるわけなので襟の通常の高さは首の約半分となる。
また背広の襟を立てるとツメ入り学生服と同じなる…
など機能から服の意味、理屈を詰めて行くと迷った時にわかりやすい。
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