2018年2月26日月曜日

◯他人を味方につける方法

◯他人を味方につける方法※アニメ私塾ネット村内共有
こういうコミュなので…
「私は絵で食っていけるのかしら?」
と内心思いながらも共有してる人の絵に圧倒されている間に半年がすぎたという人も少なくないことでしょう。
そんな時は素直に他人を頼ってみまょう。
このコミュにはアニメーター、漫画、イラスト、3D…など本職の人が揃っているので何らかの実りはあるはずです。

その時のポイント。
・正直に今の状態をプライベート的に可能な範囲で書く
・絵も載せる

他人に迷惑を変えるんじゃないだろうか?
と心配する人も多いことでしょう。
しかし相手に頼ることは度を超えて無いければ相手の「自尊心をくすぐる」高等テクでもあります。
もしも自分が誰かに頼られたら?
ちょっと嬉しくないですか?
その時の相手のことを考えてみましょう。
相手が…
・素直じゃない
・絵がないけど口先だけでは絵で食いたい
・無駄にプライドが高い
・ただの構ってちゃんの何も調べずに質問魔
…だったら協力したくなくなるでしょ。
誰かを味方につけるためにはそれなりに覚悟がいります。
だからこそ怖がって共有できなくなるのかもしれませんが自分一人でこの世界を切り開くには時間が少なすぎます。
自分の外部化、他人との共有、集合知なしに絵で食っていくことは今後おそらく困難でしょう。
そんな時にはとりあえず正直に境遇を語り、他人の意見に耳を傾けてみましょう。
自分が思ったよりも下手じゃないかもしれない、逆に実力不足なのに無謀な挑戦をしているかもしれないです。
なんせ自分のことなのに「自分」って結構わかんないですよ。
客観的な第三者意見を持ってはじめて自分ってこんなものかと定義できます。
自分が絵描きにならないことでどこかで困っている絵描き探してる人がいるかもしれません。
それが思い上がりかどうかは聞いてみないとわかりません。

2018年2月13日火曜日

「頑張って」いるのに上手くなりません

頑張っているのに上手くなりません…
 そりゃ上手くいきません。 
僕の日本語認識の中では「頑張る」はあまりいい言葉に感じてません。 」
頑張る=「頑なに張っている」状態であってそれは一方向にゴムを引っ張っている状態です。 だから新しい技を受け入れ、習得するのに向いてない状態と言えます

「こんなに頑張ったのに…」
仕事などで対他人との「頑張り」が求められる状況で方針と内容が間違っていればそれら一切は無駄です。
 相手が満足するのであれば全く頑張らなくても評価されます。 
簡単に言えば一人で勝手に頑張っちゃだめで相手とのコンセンサス(意見の一致)が大事ということ。

アニメ仕事で言えば新人原画マン(昔の自分)にありがちなレイアウト時に120%「頑張って」、その後全修正くらって完成画面に近い原画作業時にやる気が半減… 
手を抜くのとは違うがはじめは様子を伺う、提案に留めてむしろ最終画面に向けて演出、作監、視聴者そして自分の満足する接点を狙うのが理想。

「真綿のように水を吸い込む」
は真綿は捉えようがない、ふわふわな状態こそが新しい技術吸収の時に大事。
だから成長の例えに使われます。
 頑張る=柔軟性を欠き、何か一つを盲信し、自己陶酔して猪突猛進する。
 というイメージがあるので僕は「頑張れっ」て言わない。 
「やってみよう」という。

常に自分を疑う 。
勉強頑張れ、部活頑張れ… 
子供時代によく言われた美辞麗句「頑張れ」は大人になっても「仕事頑張れ」にとって変わって猪突猛進(盲信)の合言葉として使われている。
しかし今のようにパラダイムシフト(時代転換)期にあって「頑張る」ことは人生に不利に作用することもある

思考と試行を繰り返す 考えながら試す、行う。 
くらいのスタンスでまるで迷路を解くようにいろんな道順を試してみる。 
頑張っちゃうと行き止まりでなんとかしようとしちゃう。 
そっちには何もないとあっさり方針転換。 
諦めるのもまた逆に良い意味もある。

アニメ仕事で言えば新人原画マン(昔の自分)にありがちなレイアウト時に120%「頑張って」、その後全修正くらって完成画面に近い原画作業時にやる気が半減… 手を抜くのとは違うがはじめは様子を伺う、提案に留めてむしろ最終画面に向けて演出、作監、視聴者そして自分の満足する接点を狙うのが理想

自分を喜ばす絵を描く!!

自分を喜ばす絵を描く!! 
特に初心者の方はこれが最大の目標です。 
なんかやたらとハードルを上げすぎて消化不良になっている印象の方が多いです。 
もう少しシンプルにまず「自分を最大限喜ばす」楽しい絵を描いて見ましょう。
空間も表現しようとすると絵は累乗倍に難しくなります

まずは平面空間で描けばいい。 
上手くなりたい!!
けどその道筋がイバラの道だとしんどくて「やっぱり私には向いてなかった」と途中でやめてしまう。
 ハードル上げすぎ、早急に無理にうまくなろうとしすぎ。

自分が描きはじめの頃を思い出すとそんなに難しい絵を描いてなかったように思います。 自分が扱うにすぎる技や道具は最終的に絵が崩壊する元になるのでその時々最大に見栄えがする技しか使ってなかったように思います。 
いつも自分の最大限の見栄えを意識してそれが結果として自己満足が最大化します

「空間を描けなければいけない」
「早く上手くならなければならない」 
そういう息苦しい〇〇じゃないといけないから一旦自分を解放して… 
「最大限ラクして自分を楽しませなければいけない」
くらい気楽にやってみてはいかがでしょうか? 
遊び心は絵の最大の目的でありスタート地点です。

手応えの積み重ねの先の成長‼︎ 
描いてよかったあ‼︎ 
と心から思う自分の絵への感動があるからまた次も描こうとする。 
不本意だったり、自分のモノになってない絵を何枚描いたところでいづれ描くのをやめる。
 絵のはじめの観客は自分でまず自分が楽しくなければ他人はなおのこと。

だからとことん自己満が大事。 
他人が何を言おうが、他人の技を盗もうが模写しようが自己満に立脚してないと意味がない。 
しかしそれはトンがった個性追求とは違う。 
個性らしい記号の表層をなぞっただけの表現はつまらない。 
本人もコレをみたかったのか謎。 
自己満のためには鍛錬がいる。

僕は高校時代はアニメージュのバックナンバー漁りに夢中でした。
とにかく作り手のインタビューが読みたくて仕方なかった。 
部活の内申点にはもならず親から褒められるでなくモテるでなく勝手にやってた。 
その時の知識がまんま今に活きてます。 
本当に楽しいことしか将来残らないです。

桐島部活やめるってよのあの子みたいな感じ。 
ネットない、誰も教えてくれない分野で結構詳しくなった。 
トッププロの考え方はそのままサークルでの自主制作に活かされ、絵を描き始めて3年くらいでプロになれた。
 仮に絵描きにならなくてもそのディープな見方は他の分野で応用出来たと思う。

専門と全体のバランス

◯専門と全体のバランス
今時ならスペシャリスト(専門)とジェネラリスト(統括)の比較として語られる。
これは絵で言えばディテール(細部)と全体バランス、流れ、おさまりの話にも繋がる。
人に専門分野を教える時は世の中の社会構造や最終ゴールまである程度提示しないと無責任だと思う。 
アニメーターになりましょうと言いつつ、賃金問題を語らないのはおかしい。

朝から晩まで掛け声が聞こえた高校球児達はそのほとんどは社会人野球にすら入れない。 ああいう部活はブラック企業で働くための体力と精神力だけを鍛えてるようにしか見えない。 
本人が楽しければ何の問題もないが、全員そうとはどうにも思えない。
一番若い時のいい時間をと勝手に心配してた。

アニメーターにせよ、部活にせよ先の見えない努力は… 
「我ら特別自爆隊」 
「敵航空母艦ヲ撃滅セリ」
となんか違うんだろうか?と中学くらいから思ってた。 
過疎の中学で絶対人数多い学校に部活勝てないのにやる激励会とか戦時中かと思った。 
アレとアニメ業界で頑張れの感覚が似てる。

あの学校や部活の異常さはド田舎だからであって遅れているからなんだと中学の時に思っていたが… 
大人になって色々経験するとアニメ業界も企業も程度の差こそあれ「盲信」の世界であってそれに反対の意を唱えると一気に非国民扱いされるのはどこでも同じなことに気づいた。

勝ち負けに関係なく楽しむ事を「趣味」という。 
勝ち負けが存在しつつ、勝てばある程度食えることを「芸事のプロ」と僕は考えている。 では部活は?
アニメ業界はどっちか? 
どっちでもなかったらやらないほうがいい。

無限に上手くなり続けるレーンを走れ!!

◯無限に上手くなり続けるレーンを走れ!!
様々な描き方スタンス=レーン
・斜め顔アップだけ上手く描けるレーン
・木偶人形ベース素体なら全身描けるレーン 
・色鉛筆下書きレーン 
・ラフまでならカッコよく描ける気がするレーン
・透視図法ベースで放射線に翻弄されつつ背景を描いちゃうレーン
・細部ばかりで全体見ないレーン 
・男性なのに腰幅が美少女キャラになるレーン・・・ 
・森羅万象を参考に永久に上手くなれる謎レーン

みんな自分の描き方を一度決めると隣のレーンに行くのが怖くなってしまう。
自分の慣れた手法以外を試すと一旦下手に見えるからだ。 
しかしそれをしないことにはさらなる成長は望めない。 
線を整えた瞬間に絵が下手になるのは「線を整えるレーン」の下にいるからだ。
一つの描き方レーンでいける限界は決まっている。 
あるものは伸びず、あるものはソコソコ素人を騙せるレベルまでいける人もいる。 
僕が思う最強レーンは…
「森羅万象を参考にしつつ、それを面白い思い込みを織り交ぜてデフォルメできる」レーン。 
つまり現実よりもより現実感を持って楽しめる表現。

森羅万象を元に永久に上手くなれる謎レーン 
↑ここへのパスポートとして「最速本」を書いてます。
一応「なんでも」は伊達ではありません。
 中身を考えずにシルエットからざっくり取るのは自分の思い込むを介在させないため。
模写デッサンするのに上手くならない人はいちいち自分変換しているから。

多様な物差しを持とう!!

◯多様な物差しを持とう!!
高校の時にゲームをやってて思ったこと…
受験が嫌すぎて、ゲームやっているときにふと… 
「アレ?現実のレベルは全然上がってない」と思った。 実はこれゲームだけでなく受験勉強、仕事、フォロワー数…全てに言える。 
一分野でレベルアップしても他の経験値と連結、統合しないと何の意味もない

学校のお勉強もまた現実のレベルアップに寄与しないからね。
 ゲームが低俗で勉強が高級なわけじゃない。
 知力、体力、学力、画力、金力、ゲーム力…全てがそう。 
一つの仮想ヒエラルキーの中で登っても実は得るものが少なく他の分野に連結統合応用した瞬間に〇〇力は何倍にもなる。

歴史の年号を覚えたところで自分の会社の業績や時代のトレンドを見て先々の趨勢を見れないようでは学力もまた無駄な力になる。
歴史は暗記力を鍛えるものにあらず、過去の人々の在りようを学び未来を予測するための学問だから。

何百億も稼ぐデイトレーダーがみんな羨ましいか?
と言う話。 
高層マンションの天辺でカップラーメン食べてひたすら画面に向かう人生はあまり羨ましくない。 
お金もまた使い方、活かし方、得る過程も含めて人の成長過程の一要素。 
学力だけ高いやつ、見た目だけ気にするやつは実は根本の中身は同じ。

一つのヒエラルキーで上にあがることは実は思考停止と一つの価値観を信奉すればいいだけなので結構楽な生き方。 
そこから別分野に足を伸ばした瞬間に一番下から始めなきゃいけないのでそれが怖くてみんな一つの山に登ることしか考えなくなる。 
たとえその山の頂上に何もなくても引き返せない。

リアルな人体が描ければなんとかなる




リアルな人体が描ければなんとかなる
自分にどんだけ「才能」がなくてもリアルな人体がサッと描ければ何とか「食いっぱぐれない」だろうと2002年スマホもない大学2年の時に戦略的に自覚していた。
14年間ずっと思っての変遷。描くスピードは10倍以上に当時の自分からしたら今の自分はスーパーサイヤ人の見える。


日付大事。 
上手くなる自分そのものも記録、観測の対象とする。 
素人目には昔からやっぱり上手いじゃんと思うだろう。
たしかに頑張って線を選んでる感が好感持てる。
でもこれでもプロのアニメーターとしては高いレベルでは結構キツかった。
普通のテレビなら全然行ける。

所要時間もあるとさらに良いです。 
とにかく自分を客観的に観測する。

14年間の主な成長の流れ
 ・2004〜10年
アニメーター時代→正確に早く描けるように。ポーズ集や自撮りなどで逐一確認。 
・2011〜13年
コンテ演出との兼業時代→より全体を捉える、シルエット、象徴を意識。
・ 2013〜17年
アニメ私塾時代→他人に教えることで論理的に隙をなくし、躍動感と自由度が増した。

上手くなることが目的じゃいけないのか?
いいと思う。 
この前の自己満ツイートに関連すれば「DBの孫悟空」はただ強くなることに喜びを感じてた。
でも悟空もいろんな敵が現れて強くなった。 
最初の村にいたら強くならなかった。 
逆に言えばプロもその程度の敵であって至上の価値があるわけではない。

学校でも職場でもtwitterも気を使う…

◯学校、職場でも気を使い、twitterも気を使い…
結果、みんな自分の意見が何かわからなくなり、
自分の描きたいモノも曖昧になってしまっている。 
明瞭明快は絵を描く際の最良の心構えです。そして自分に正直に。 
ただツイートのどこかに誰かへの思いやりは最低限いるかもね。 
ただのディスリは品性下劣だけど…。

どこまで嘘をつけばいいのか? 
アニメ私塾はもっとマイルドなテイストでフォロワー増やしした方がいいんじゃないですか?と思う人もいるだろう。 
しかしそこから誤解して塾生になって実際会って全然違ったら詐欺じゃないですか? 
僕を知る人はまんま本人がつぶやいているように見えるらしい。

はじめた会った人は大概は少しtwitter口調よりも優しく見えるようです。 
twitter場で曖昧なこと言ってもわからんのでどっちかに振れた意見になりますね。 
ツイートの頭に毎回「どっちでもいいけど」って入れてられないでしょ。

誰も見てないものを面白がれ!! 
みんなが「面白い」って言う方を見て面白がるのは消費者。 
発信する側は誰も見てないけど誰も評価してないけど、全然モテそうにないけど
「これ面白い!!」って勝手に言ってる人。 
それで周りを徐々にその面白さに気づかせる人。
 勝手に面白がり、勝手に発信してる人

才能の有無で語らない

◯才能の有無で語らない 
自虐的に自分には才能ないというのをやめた方がいい。 
本質的には実は対象に興味がない、
それに時間をかけるほど熱中するほど好きじゃない、
時間を投資するほどの価値を感じていないだけだ。 
才能がなかった…
という解像度の低い言葉を使っているうちは次にやる何かもきっとごまかす‼︎

古い知り合いがアニメーターになってしまって結果「才能」がなく辞めて、
次に目指した仕事も何となくその時にかっこいいと思った職業でそれも何にもなっていない…。 
人って対して好きじゃないことも生真面目さと勤勉で途中まで行けちゃったりするのが怖い。
自分の好き嫌い、向き不向きを知っているのは何よりも武器。 
こればっかりは自分で判断つかない人は少なくとも「自分では判断つかない」という自覚くらいはないとやばい。 そして的確にアドバイスしてくれそうなやつを見つけて言うことを聞いてみる…ということさえも素晴らしい才能に思える。

多分その幼馴染みたいなやつは世の中に100万人くらいいると思ってる。 そいつらを何とかしたいと言うのもこう言うまどろっこしい教育もどき活動の大きなモチベかもしれない。

「無知の知」という言葉があるように自覚があってそれをずっと意識するのは難しい。
それがくだらない学歴や家柄、育ちなど虚像に誤魔化されて本質を見失ってしまう。
常にリセットしてフラットにみて今日明日を見直さないと軌道修正できない。

上手い絵は整理されてます

〇上手い絵は整理されてます。 
見せたいモノが整理されてます。 
デッサンが整理されてます。
 狙いが整理されてます。
… 逆に見るのがシンドイ絵は全てが曖昧です。 
これは描く人の思考パターンがモロに出た結果です。 
上手い人は何にして整理されてます。

優先順位を明確にする。
 表現するための手順を明確にする。 
これらは絵に限らずほとんど全ての企画や仕事、人生まで共通してます。 
一枚の絵に込められた迷いは人生まで共通します。

僕は自分の創作力は大したことないと思ってますが天才を見抜く力は妙に感じてます。
アマデウスのサリエリの気持ちがよく分かる。 
今も結構、元塾生さんが活躍しているようですが10年以内に超大物を輩出していそうな予感。アニメ私塾やっててよかった。

僕は自分の創作力は大したことないと思ってますが天才を見抜く力は妙に感じてます。
アマデウスのサリエリの気持ちがよく分かる。 
今も結構、元塾生さんが活躍しているようですが10年以内に超大物を輩出していそうな予感。
アニメ私塾やっててよかった。

自分がなにでどのくらい嬉しいか?やる気がでるか?また何が苦手でやる気が無くなるか?明確に言語化して置くと考えそのものが整理されて結果として絵の描き方も明快になっていきます。 

プロになってうまく行くか不安です

Q、プロになってうまく行くか不安です・・・
A、まずプロになる過程、なった後の修行時代も含めてどの工程も「楽しみ」だったらやりましょう。
そう思えないのであればやめましょう。
その予感でおそらく適正の有無を自ずとわかるし、仮にうまくいかなくても「楽しかった」ことは次に繋がります。

別に罰ゲームでプロになるわけじゃないんで。 
まして芸事なんだから気張っても仕方ないです。 
初志を貫徹する必要もない。
 面白そうで入った。
しかし初日でここは危険だと察知した。
そうしたらその日中にやめればいい。
相手が自分を拘束する何らかの契約書がなければ何の問題もありません。

僕は偉そうにしてますがアニメ業界にいたのは実質たったの9年4ヶ月程度。 
その間に20箇所以上のスタジオの仕事もしたし作画だけでなくコンテ演出や新人養成もやったし詰め込めるだけ詰め込んだので全く後悔ないし総じて楽しかった。
だけどアニメーターやめた時よりも圧倒的にレベルアップもした

むしろ自分の快不快に敏感であることがある意味、その後の生死を分けるかも。
物理的な生死よりも精神的な生死。 
不快にずっと我慢し続けて得られるモノと失うモノがある。 
それを両天秤にかけてあまりに不快であることに我慢する達人にならないこと。

不安の正体は整理されてない感情的なもつれです。 
例えば行きたいスタジオがある。
入れるか不安です。 
まずそこに入ってるアニメーターのツイッターアカをフォローし、動向を伺い真似する。そうすれば今やるべきことが自ずと見えてくるから不安に思う暇などない。

なので不安の正体はそもそもにして本当にそれをやりたいかどうかが曖昧だったり、自分を解放して本当にやりたいことをやる習慣がなくて、モヤモヤしていて気持ち悪い状態かもしれない。 
自分探しではないがとりあえず自分の好き嫌い、興味の有無とかそういうの書き出して自分を整理してみよう

手応えの積み重ねの先の成長‼︎ 
描いてよかったあ。
と心から思う自分の絵への感動があるからまた次も描こうとする。 
不本意だったり、自分のモノになってない絵を何枚描いたところでいづれ描くのをやめる。 絵のはじめの観客は自分でまず自分が楽しくなければ他人はなおのこと。

だから僕はアニメ業界をやめました。
昨日は寝る前に自分の添削結果をうっとり眺めて寝ました。 
自分がその時々でどんな思索の結果その絵になったか思い出すのは楽しい。 
それが絵描きにとっての幸せですね。

コンテのみやると
「いやーなんでこうしちゃったかなあと」白箱すら見る見る気が失せて… 
作画のみすると「いやーなんでこんなコンテ、というか企画脚本にしちゃったかな」と萎えて… 
コンテ演出作画までほぼ一人でやると…
「これ集団作業の意味なくないか?」と我に還り色々試した結果やめました。

そう思ってしまう時点でアニメーターとしての才能はわかりませんが… 
現状のアニメ業界の構成要員として不適合のため去りました。

2018年2月12日月曜日

絵描きは本質主義であれ!!

◯絵描きは本質主義であれ!!
絵は紙の上の全て虚構です。 
だからこそそれをもっともらしく見せる(魅せる)ためにはありもしない権威に依らず、一般に言われる普通や慣習を疑い、常に実存的に現実を捉える必要がある。全ての事象を並列に分析し思い込みがあれば常に柔軟に修正して行きたい(自戒)

現実はグレー 。
「私、超下手なんですよ!!」って言う人そんなに下手じゃない。 
自分の実力も過少にも過大にも評価しないように。
 ある時は自信過剰、ある時は自虐まで落ちる。
 現実は耐え難いほどに曖昧なグレー。
白でも黒でもない。 
世のほとんどの人は中間層の80%に入る。

謙虚も傲慢。
これは高校の時からの自論。 
謙虚も傲慢も現実からズレていると言う意味で同じ。 
謙虚らしいことを言っておけば非難されない、あるいは傷つかないという戦略。 
私下手なんですよ→下手かどうかを決めるのは実は他人だしそれは相対的だし好みによるし一概に断定するのもある種の傲慢。

感度の高い人は無料の価値を知っている

◯感度の高い人は無料の価値を知っている
感度の高い人は…
あれ、この無料の動画やtwitterのノウハウは自分の通っている高額の学校よりも全然ディープだし有用では?
 …と気付くはず。 
そう、今時本当に有用な情報ほどネットに無料である。 
感度の低い人はいまだに有名な高額な権威に何か特別な意味があると思い込んでいる。

あくまで僕の興味の範囲だがその道のトップクラスほど必ずネットで何らかを発言していてそのほとんどは大学の先生よりもレベルの高い話をしている。
まず高額な学費を払う前に無料の動画を見漁って欲しい。
それでも学びたいと思ってからお金を払おう。
〇〇大生という身分を買うには学費は高すぎる

僕が今18歳で親がどうしても大学行って欲しいなら落合陽一の筑波大に行きたい。
でもこれから行くわけにいかないしネットにアップされている発言はほとんど聞いているので新刊の内容の7割は読む前から知ってた。 
研究は知らんけど社会論的には概ねトレースできている。 
それでまずはよくないか?

親がどうしても大学行って欲しい… 
という状況が結構常軌を逸してるけどね。 
勉強って本来そういうものじゃないだろ? 勉強は贅沢品。 
大学に行って欲しい→何百万もする贅沢をして欲しいのと同義だからね。

アニメ私塾→アニメーターという簡単なコース

アニメ私塾→アニメーターという簡単なコースで言えば… 
1、過去の添削結果を見る 
2、課題をしっかり読んで提出する 
3、添削結果を元に復習する これを1年やるだけでアニメーターになれます。
 問題はそれをやりたいかどうか?のやる気の問題。 
やる気が出ないことを無理やりやっても意味ない
このルートを辿った塾生の異口同音が… 
「入社試験が笑えるくらい1年目課題だった」 
「もっとちゃんとやっていれば受かってたのに」 ま
たアニメーションコースまでやった人は… 
「これ、研修課題そのままですね」 
アニメーターになるだけなら特殊な個性は入り口で要りません。
やることは決まってます。
問題にしているのは誰がどこに入ったとか就職率とかではなくその塾生が最終的に楽しい絵描き人生を送れるの?
ということだけ。 
だから某有名スタジオに受かりました!!
という喜びの声に対しておめでとうとは言えません。 
とりあえずスタート地点に立ったということと今後一層に精進しようと言う。

自己満足(好き)を拡張しないとプロになれない図

自己満足を拡張しないとプロになれない図

自分の絵柄は受けないから…
プロになれないんじゃなくて自己満足の拡張の先でしか他人は喜んでくれない。 
ここで自己満足の拡張のために必要になるのが自分が求める表現のための技術向上であり、先人の模倣になる。 
やりたくないことはできない。


つまり様々はことを知っている、興味がある、なんでも描ける方がこの他者満足の範囲に入りやすい。 
無論一発ギャグのように「個性的なテイスト」がたまたま当たる場合もあるがそれを狙うのはこれまた無謀。

この図を見ると究極のアマチュアイズムの先に究極のプロになることもわかる。
 自己満足の範囲が広いだけでなく「深い」場合もある。 
つまりほとんどの他人は満足しなくても点のように見える狭いものがとてつもなく深い場合はそこに価値が見出される場合もある。

この図を見ると究極のアマチュアイズムの先に究極のプロになることもわかる。
自己満足の範囲が広いだけでなく「深い」場合もある。
 つまりほとんどの他人は満足しなくても点のように見える狭いものがとてつもなく深い場合はそこに価値が見出される場合もある。

「不本意な時間」を過ごすというのもこれまたプロレベルに昇華してしまうとマズイ。
AIができなくて人にのみできることはまさに自己満足。 
自己満足できない仕事ほどデジタルに取って代わられやすい。
 今、高級高尚とされる…だけど人がやるにはつまらない職業全部がある日なくなる可能性がある。

この図はある意味残酷で… 
運が悪いから、絵柄が受けないから、環境が、境遇が、学歴がなどあらゆる言い訳を許さない意味もある。 
プロになれないのは要するに力量が練度が足りないだけという図でもある。

気づいたら描きたいモノがズレてく。

気づいたら描きたいモノがズレてく。 
はじめに描きたいイメージがあってだんだんと描いてる間に描ける技術の限界も相まって描きたいモノが描けない苦しみは不慣れな時によくある。
一枚の絵と1人の人生は似てる。 

家族のために頑張ってるハズの仕事のせいで結果家族を省みなくなるとか。 
単に絵で食べたかっただけなのち勝ちが見えないアニメ業界の山を登っていたり。 
本当に大事なことってなんだったんだ⁇って自問自答しないと途端に描きたい絵も生きたい人生もブレていく。
僕の場合は子供の頃楽しかったのは文化祭と絵を描くことと同級生に算数教えるのとアニメかな。 嫌いだったのはソフトボールの外野の球拾いと卒業式の予行練習。 
とにかくムダに待ってる時間は苦痛以外の何モノでもなかった。 
だから学校のそういう仕組みに近いサラリーマンだけはなりたくなかった。
人の欲求方向っておそらく子供時代から変化がない。 

それが途中で入れられる良い学校良い就職という幻想に翻弄され、自己欲求に合わないつまらない人生を送ってしまってる人は多いみたいだ。 仕事の貴賎ではなく、合う合わないの問題だ。
普通の人生も成功も存在しない。 しかしありもしない普通にやたらと翻弄されて苦しくなる。 
最適解は各々違うので行動しながら探るしかない。 
まして産業革命以来の変化の時代と呼ばれる現代にあって数年前の予定なんてあてにならない。
 常に機を見るに敏。

すでにいる人を目指さない‼︎ アニメ私塾設立の狙い

◯すでにいる人を目指さない‼︎
巨匠と呼ばれるアニメ監督、大ヒット漫画家、ゲームイラストレーター…。 
誰もが知る憧れの絵描き達だがこれから目指すのは無理ゲーです。出来ても1万人に1人出来るかどうか。
すでにある山に登らずに世の中に足りない穴を見つけて埋めた方が楽だし上手くいく。

何でないんだろう?
これが欲しい‼︎
という素朴な欲求が大事。

また新しいことは誰も見たことないから奇異に映ります。 
今の権威者は最初は皆バカにされてました。 
或いは今まさに権威がある場所にいるならそれは危険信号です。 
なぜなら誰もが知ってるモノは次に落ちるしかないからです。

手塚治虫の時にはストーリー漫画がなかった。
宮崎駿の頃には実写に勝てるアニメがなかった。 
みんな無いものを埋めようとしてレジェンドになった。 
アニメ私塾は東京行かないと大学行かないとアニメサークル入れない自分の悔しさがベースにある。 
若い頃の自分に都合良く作っている。

アニメ業界入らないと技術学べない、レベルの高い知り合いに会えない。
 高校大学の自分がやってほしいことをひたすら追求してるのがアニメ私塾です。
自分が欲しいモノはどっかの誰かも欲しいモノ。 
自分が変わり者であればあるほどそれはニッチなニーズとしてどこかの誰かが強烈に求めてます。

どこに穴があるかと言えば20年前になかったモノは… 
そうネット、スマホです。
僕らの世代は成熟したコンテンツ文化と未成熟なネット文化の上にいます。 
僕らの世代の仕事の多くは未成熟なネットやAI文化のインフラ整備になります。

さらに20世紀末に向かって消失したモノは?人の繋がりです。 
核家族化や非正規社員増加で会社の村機能が低下してアノミー(連帯不全)が増えた。
すなわち寂しい人が増えた。
ルームシェアは昔で言えば長屋。 
明治以降に失った日本人らしさをネットを使って滑らかに再興するのも僕らの世代の仕事。
ネット村も消失した村文化の復古。 
あとこれからは地方分権、選択的独裁自治の時代と思ってるのでその意味も込めてます。 アニメ私塾ごときがムダに志が高めに見えますが理想は高ければ高い方がいいです。 
ちょっとネットで人気くらいで満足しない。


ノウハウの無料投資 。
アニメ私塾のやっていることはある意味そうです。 
あるNPOとコラボってる時に… 
「金銭投資には限界があるからノウハウ投資しよう!!」と提案してたところで僕が勝手に始めちゃいました。 
ノウハウ=過去の蓄積や知恵はネットで無限に無料で拡散され、新しい文化形成になる。

若い頃にお世話になった人は一生覚えている …でしょ。
みんなも。 
逆に若い時にひどい目合わされた憎しみも一生ものですが。
とにかくひよこは最初に見た鳥を親鳥と信じるわけで若者への投資は最終的に自分をとても利する行為になるわけです。

現代のわらしべ長者。 
無論、アニメ私塾いいよって言ってくれる人が全員、塾生にもネット村にも入らないです。
しかし、めちゃ勉強になるという人が1000人いれば10人くらい入ってくれる。
そんなレベルで食わせてもらってます。

いつも同じ絵になっちゃう人へ

◯いつも同じ絵になっちゃう人へ
フレームに対してのキャラ面積比が同じだと似たり寄ったりの絵になります。 
抽象度の高い状態でまずサムネールで面積比を変えない限り同じ構造のディテール違いを複製していくことになります。
なので絵のバリエーションをつけたい場合はキャラの面積比を変えましょう

10分描き方手順 

⑴全体のフレーム縦横の四角を再現、四隅に対して大まかにキャラがいる場所を決める
 ⑵中身を分けるように切り取る、一箇所に固執せずに全体を少しずつ手を入れる 
⑶細部を描き込んでいる時も常に「全体の一本」を意識 
⑷見て楽しくなる程度に影つけなどして完成





















四方フレームに対して内部のシルエットを見るやり方で劇的に見映えが良くなった人が内外で続出してますね。 
ちょっとした意識の持ちようで本当に変わりますね。

コレはやり方が最速本にまんま描いてあるんですが本に書いてあることと実際に描いて見せて解説するのでは意味が違うみたいですね。 手順をまんま真似すれば急激に上手くなります。 手順から大分違うのでそこから見直さないと堂々巡りになります。

30代からの絵描き戦略「日常のネタ化」

◯30代からの絵描き戦略「日常のネタ化」

過去質問)
30代ですが絵描き目指しちゃダメですか? 
いや僕が決めることじゃなくてあなたが決めることです。
やりたい人を周りがどれだけ止めたってやりますから。
 むしろ誰かに言われたらやめるようなことはやらないことです。 特に絵は主体的行動なのでやりたければやればいいだけです。
あとは現実的に戦略を考えましょう。 
10代から目指して20代全部を費やした人とまったく同じ土俵で戦うのは余程の天才でない限り無謀です。 
絵描きも市場原理の世界なのでレッドオーシャンではなく、自分のこれまでの経験をなるべく活かしたニッチなブルーオーシャンを目指さないと勝機はありません。

アニメ私塾は丸五年になりましたが僕は…
「教育者として素人」としてスタートしました。
「アニメーター×教育=アニメ私塾」です。
これが「これまでの職業×絵描き=なりたいもの」の掛け算にしないと勝機はありません。そうすれば若い時からずっとやってきた人々の一番後ろから並ばずに済みます。
平たく言って、アニメーターや漫画家など既存の業界に入る「絵描き」としては新人30代だと伸びしろを見てくれずにいきなり同世代プロと比べてどうかとして見られるでしょう。 
だから今のお仕事を続けながらネット公開、同人活動の延長で徐々にマネタイズして行くとかそういう方向の方が現実的です。
例えば「主婦の変わった日常日記」漫画があったとしてtwitter公開して何万お気に入り、何万フォロワーとかになれば出版社が動くでしょ。 
そっちを狙えば滑らかに素人からプロになれます。
 いい歳になって出版社持ち込みなど足元見てくるので結構きついのであっちから来させるのを狙う。

今の嫌な仕事が全部ネタになります。 
自分の仕事の当たり前は他の業界では「え?」と思うこともある。 
今の仕事がいやだ→だから漫画家になりたい…
だったらその仕事がどう嫌で今の自分はどうかを事細かに日記漫画として4コマでtwitterアップしてみては? 
自分の不幸は他人にとっての「蜜の味」です。
そうやって日常をネタ化してくると… 
むしろ嫌な仕事をしている時の自分がアバター化してネタ収集機と化す。 
そして家に帰って漫画描いてtwitterアップしてる自分が本当になる。 
ほら段々と絵描きになって行くでしょ? 
いきなり仕事やめて一日中漫画だけ描くなんて今までやったことない人できないです

こういう思考回路になると女の子にフラれても 
「ヤバい‼︎この不幸はネタに…」とか頭の片隅で思い始める。 
それが創作系のやや変態っぽい発想法。 
風たちぬのジロウが震災中に不謹慎に火の粉舞う空に飛行機を妄想するあれと同じ。 
魂が半分作る方に持っていかれると現実がすべてネタに見えてくる
これは30代に限らず大学嫌いです学生さんにもまったく同じこと言った。 
大学はつまらないけど見方によってネタ収集の絶好の機会。 
逆に大人になってそういう「無駄」を体験することはそうそうないので存分に味わおう!!と。 
そうすると無味乾燥とした大学の講義さえも面白く見えてくる。

楽しい創作人生を送るために大人になっても角を持ち続ける

◯楽しい創作人生を送るために大人になっても角を持ち続ける
絵は本心を求める
絵はそもそもにして全部が虚像だからね。
だからそこにもっともらしく存在させるためにはまず自分の脳内で疑いなく存在させること。 
つまり非本質主義、建前主義、権威主義は結果あんまり上手い絵が描けない。

楽しい創作人生を送るために… 大人になっても角を持ち続けること。 
プロになれば他人からの欲求に答える間に角が取れて普通になっていく。 
しかし最終的な武器は本人しか持ち得ない角。
 削がれないように避けたり、隠したり、しながら角は磨いて持ち続けたい。

角を磨く方法 ・思ってることを素直に言う 
それを即座に行動に移す 大人になるとタラレバ愚痴が多くなるが本当はそんな暇ない。 
子供はなんでも言ってみるやってみる。
それを周りの大人に口を塞がれ、両手両足を縛られ、気づいたら自分の言葉がなくなり聞いた風なことしか言えなくなる。

絵は心の捻れを解きほぐす 。
その感じは凄くあると思う。 
僕も中高生の頃はご多聞に漏れず大分捻れていた。 
おそらく虚構世界に見える大人や受験が嫌でしょうがなかったんだろう。 
それが学生時代に親元離れ、アニメを作りはじめたら大分素直になった。 
創作活動は心を癒す。

心の捻れとは? 
タオルや紐を捻るとわかるが片一方は固定されている。
これは心の捻れで言えば、本質的にやりたいことがあるんだけど諸事情で諸問題で出来ない。 
つまり捻れとはウソが自分の周りをグルグルまわり、結果自分も引っ張らてるストレス。 自分を騙すのは大分ストレスになる。

映画の見方

◯映画の見方
そこそこのプロが…
映画全然見てないんですよって謙虚に言っても結構見てるからね。 
僕も映画全然得意じゃないけど…
黒澤映画、男はつらいよほぼ全部、スピルバーグ、キャメロン、あと町山智弘の映画史論も大まかに。 
プロが「得意」「好き」っていうのはかなり変態レベルで詳しい状態。

映画詳しいって言えるならまず白黒時代からハリウッド日本に限らず世界の映画まで知ってるとかそんなレベル。 
僕はそこまで知っていないので映画は詳しくありません。

20代は浴びるように見る
そこまで無理してというほどでもないけど、アニメーター時代は近所のレンタルビデオ屋で10本ずつ、スタジオに詰めてたときに壁一面数百の映画は見てた。
その結果…そんなに好きじゃない。 
ゴットファーザーとかバックトゥザフューチャーとか問答無用の名作は何回も見た。

高校の頃は… ハリウッド映画なんてどうせプロパガンダだろうと斜に構えてアニメばっか見てた。 
後々、それをわかった上で見てやっぱり名作はよくできてる。
ちなみに知り合い曰く
「アメリカ行ってもハリウッドスターみたいのは一人もいない…みんな太っている」らしい。 
プロパガンダ成功してる…w

今だったらネトフリとか映画見放題のあるからみんなあんまり自分が見なさそうなジャンルを見てみるといい。 映画はアニメの親戚なのでネタに変換しやすい。

映画何を見れば? 町山智浩から入るとわかりやすいです。 
時代背景から解説してくれるのでとっかかりが掴みやすい。 
ハリウッド映画で言えば… 
・大戦中、大戦後の全盛期40〜50年代 
・ベトナム戦争の影響色濃い退廃的な60〜70年代 
・ロッキーがきっかけ80年代以降の流れ
 …とか。

イチオシ映画「バックトゥザフューチャー」
シナリオ学校ではセリフを全部書き写させるとかさせないとか
 …噂のあるほど完璧な映画。
トヨタ、ソニーなどの日本製品だらけの荒廃した85年とまるでノーマンロックウェルのビジュアルみたいな古き良きアメリカが残る55年の対比がすばらしい

特に好きなイチオシカット 
55年の過去に戻った先で若かりし母親が呼ばれて焦って退室する際に鏡に映って本来見えないアングルの表情が見える1カット。 
初々しさとロックウェルのイラスト引用と多層的な意味のある1カット。 
映画全然詳しくないけどこのくらいは語れます。

〇舞台セットも面白い 
・寂しがり屋ほど部屋が汚い 
・飾られてる写真で過去を語らせる 
・危険を知らせるエマージェンシーカラー…とか。 
面白い映画ほど誰でも本能的に面白がれる緻密な計算で出来ている 1秒見ればA級かB級かわかるほど映画もアニメ同様に意図した表現の塊で出来ている。

〇カットの飛躍を見る…
 例えばこんなシナリオがあったとしてどんなコンテを皆さんなら書くだろうか? 
「席を立ちトイレに向かう…」 
本人をわかりやすくずっとカメラは追うだろうか? 
新聞の隙間からその様子を伺うオヤジの目線のアップにして足音とドアの音のみで表現するだろうか?

点しか描かずに間は見てる本人に妄想させるテクニックはよくある。 
それが上手いのがスピルバーグ。 
ジョーズが上手いし、3D過渡期のジュラシックパークは恐竜が序盤出てこない。
…けど音と前後の流れで妄想させるのがすごい上手い。

制約の面白さ キャメロンならエイリアン2。 
宮崎駿ならカリ城がやっぱり好き。 
何でも出来て、予算もあってという恵まれた環境の後期作品はどうにもあんまり好きになれない。 
できることが限られてる分、制約があって逆に演出キレッキレ。 
映像が豪華になってもあんまり面白いって思えない。

黒澤映画もカラーはしんどい。 
あんなに白黒時代はセンス良かったのにと思うほど。

今日は久々に映画見た トムクルーズの最近の近未来SF的な無限ループモノ。 
プライベートライアンとアバターとミッションインとゲーム文化と…のちゃんぽんみたいな。
 日本のラノベ原作だか…
 ハリウッドも表現が縮小再生産で日本のアニメ業界と似てるなあと。 
でもそれなりには楽しんで見ました。
あと宇宙戦争か。さらにトムクルーズ初期の何だか…。
すごい足し算感がハンパない。
とりあえずいっぱいのせるどんぶりみたいな作品だった。

押井守は学生時代数千本の映画を見たらしい…
だからみんなも同じように見ようとは言いません。
だって時代が違う。 当時はそれしかやることがなかったんですよ。 
今、同様のアツイ青年がいたらスマホで撮って編集してYouTubeに上げるだろうね。 
あと映画しか見るモノもなかった…

時代によりやるべきことは変わる… 
当時の映画は今以上に玉石混交で映画館に入り浸るなどどちらかと言えば不良に近い感じだった。 
映画=高尚は割と最近のイメージで
「映画ばっかり見てたなんてやっぱり大物は凄い」と思うのは違う。

中学時代の絵と文化祭演劇

◯中学時代の絵と文化祭演劇
絵よりも画を描きたい!!
絵=感性、想像で描いている印象の言葉。
 画=計算して組み立てる印象の言葉。 
計画、画策、画数、戯画、作画… 他人に向けてどう見せようか計画的に構築するのが画。 その意図が面白いし好き。 だから落書きとか僕は全くしない。 
そこがまさに絵描きとしての限界でもある


◯中三の時の火の用心ポスター発掘!!
ある超絶画力の漫画家さんの一コマを模写して文字を当て込んでます。 
中三にしてはまあまあ?今時もっと上手い中三はたくさんいるでしょう。 
この時少なくともシルエットが重ならないように文字黒と背景赤のコントラストは意図していた。
梯子が大きいのが残念。
ちなみに日頃画を全く描いてませんでした。
でもこの絵は徹夜で多分20時間連続くらい作業して完成した。 
この時から画は確実に好きだったんでしょうね。 
賞には一切引っかからず、自分には才能がないと思いました。



















そういえば中1の時に美術室に風景画を張り出してもらって。 
中2になった頃には下手に見えて描き直して勝手に張り替えたらエラく教頭に怒られたw 
その構図を思い出しながら高3の時に描き直したのがこれで同じ構図で3回描いた。 
他人の評価よりもまずは自己満足は昔からだった。
全然描いたことありませんでした…と言いながら異様な執着心はあったらしい。 
この中3から高3の成長してないっぷり。



















この絵で意識したところは「スーファミのドンキーコング」。
当時、任天堂のゲームが大好きで特に奥手前のレイヤー違いによる陰影差に魅了されしびれていたのでそれを再現したかったのだろう。

中3の時の文化祭には例の教頭が美術担当で審査員だったのでまあ金賞ではなかったがその頃にはある種達観した生意気な目線を持っていたので本当にどうでもよかった。 
その時は文化祭の劇の出し物の監督が楽しくてそっちに興味が向いていた。

背番号というタイトルの簡単に言えば校則の厳しい学校で名前ではなく背番号で呼び合う的な… 
そんな劇でけん玉とか脚本にあって時代遅れすぎだろとか思って全セリフを当時好きだった「うる星メガネ調」に変えて担任に持って行ったら却下された。 
でもそん時は相当楽しかったなあ。

文化祭は大好きでポスターを頼まれもしないのに「切り絵」調に何枚も作っていた。
黒字にカラフルな文字で浮き上がるみたいなポスターを何枚も作ってた。 
アニメ私塾のアイコンはまさにその時の名残。
 遠くから見ても目立つ「二次元のシルエット」のわかりやすさは当時から大分作為的に意識していた。 
絵は描かなかったけど第三者どう見せるかはすごく興味があった。

例えば劇で冒頭は「展覧会の絵」のプロムナードからはじまり、校則厳しい的なシーンはビバルディ四季の夏とか、掃除のシーンはドイツ行進曲集からピックアップしたり。
他の役者の子達はそこまでやる気がないこと重々承知での上でセリフの出来に左右されずに名曲でなんとかしようとか誰得レベルで今思えば自己満のためにやたら色々やってた中3の文化祭。
隠れてゲームボーイをやるシーンでは二台用意して一つは舞台のチケット用、一つは音響用でゲームの起動音を際立たせたりしてた。

あと観客席からは丸見えだけど舞台上のお約束として隠れている表現。
可能な限り観客側に尻を向けるな・・・など。 
セリフの上手下手より大声で聞こえるようにとか全くやる気のない同級生に演技指導をしていて煙たがれてた。

〇子供はクリエイティブ… 
中学以前の自分は大分面白くてクリエイティブだった。
と回顧したけど話を聞くとみんな各々子供時代はクリエイティブ。 
じゃあいつ創造性を失うかといえば受験と就活。 
徹底的に本能的な興味や意欲が潰される。
「子供のように発想し、大人のように実行」…宮崎駿やスティーブ・ジョブズなど成功者の多くに共通するポイント。

舞台の表から見るか裏から見るか…
 中学の頃から作る側の作為を感じてそれが面白くてアニメを見ていた。 
逆に言えば浅い志つまらない作品に対してものディスリも同時にしていた。 
その頃から表から見る側ではなく舞台裏から見る癖がついている。 
それを自分も真似たいっていうのが創造性のスタート



素朴な興味を忘れない…

◯素朴な興味を忘れない…
「実際のところどうなっているの?」
という素朴な疑問を紙の上だけでなく現実に引き戻して観察する。
 そういう好奇心、興味に素直に行動に移す。 
ただそれだけ。 
「やらなければいけない…」ってことはそもそもに絵にはなくて。
 紙と現実を分けると多分つまらないよ。

◯わからなかったらすぐ見る!! 
これをずっと繰り返す…。 
するといつしか様々な位置からの視点でどう見えるか大体わかるようになる。
 そんな時に誰かに… 「どうして何も見ないで描けるんですか?」って言われる。 
それはただ過去に描いたことあるかそれを組み合わせているだけ。

◯模写⇆デッサン⇆自描きの最強上達サイクル 
模写=作監修正のトレス デッサン=原画時わからないものをちゃんと調べる 
自描き=時間ないときの演出作監修正作業…など。
 ルーチンなアニメ仕事でも見事にこの黄金サイクルを入れることができます。

◯徹底的に自分を疑え!!
こうなるかな…って適当に思わない。 
まず自分の感性を怪しんで実物を見る、演ってみる、調べる。 そして一歩ずつ上手くなっていく自分を圧倒的に信じる!!
 小さな自分を疑い、大きな自分を信じる。 
下らないプライドは一瞬で捨てる。

◯メディアに共通する繁栄と衰退の流れ

◯メディアに共通する繁栄と衰退の流れ
一部の人しか知らない「マイナー」なものから大衆が知り「低俗」になり、
いつしか「高尚」になり最終的にはゼロにならないくらいに衰退して「伝統」になっていく。 
※メディア=神話、宗教、小説、舞台、ラジオ、TV、映画、漫画、アニメ…人が知る情報全般

今の状態が永遠に続くと思ってしまうが…
どんな表現も時代によって移りゆく。
 JPOPが200万枚CD売上ていた90年代にその20年後にダウンロードで聞いたり、YouTubeの再生回数の方が価値を持つ時代をほとんどの人は想像しなかった。
アニメのDVDしかり。
バブルの頃の大人を見るとちょっと恥ずかしいと思う。
ちょっと前のやりようを恥ずかしく感じるようにきっと20年後は今をちょっと恥ずかしい…
「なんであんなことしていたんだろう?」と思うだろう。 
これからの変化は今まで以上だと思って多分間違いない。 
絵描きの表現方法、あり様も変わって当然。

2Dアニメの発展はくるところまで来て今後は単純なクオリティではなく「使われ方」が重要。
歯磨きをするときに幼児に見せるYouTube動画は何6千万再生もされている。
こういうの見ると緻密な作画、何号影つけて…単価安って。 
しかも全然売れないし低視聴率で誰得?意味わからんと思うよ。
 
業界基準のスーパー作画とは程遠いけど圧倒的に一般に支持されている。
こういうところにも衰退→メディアの変更、吸収は見て取れる。
こういうの見ると緻密な作画、何号影つけて…単価安って。 
しかも全然売れないし低視聴率で誰得?意味わからんと思うよ。

ツイッターにタダのせして売れる時代

〇ネット時代の絵描き像
・既存の業界以外の発表と収益 
・個人が放送局、出版社、広告代理店を兼ねるプチ業界化 
・描きたいジャンル×やりたいこと ・生き様のネタ化、キャラ化 アニメ私塾は5年前の設立時からこれらのことを意図的にやってます。

◯絵描きの生きづらさの原因は頂上の多様さの無さ…
・アニメ監督なら〇〇みたいな 
・漫画家だったら〇〇みたいな って何万に一人なれるのだろうか… 
初期衝動で目指すのはいいとして徐々に自分と目標との違いに気づく。 
他ジャンルで興味あること、職種と絡めた先が本当のゴールかもしれない

〇例えば漫画家にこれからなる… 
毎日1ページツイッターに勝手に連載作戦はどうだろうか? その反応を見つつ、ネタやシナリオを練り直す。 
載るかどうかわからない持ち込みやよりもやる気も出る。 
もしも人気が出たら出版社からオファーがくる。 
逆持ち込み現象。

〇作りたいモノは持ち込んだら作れない… 
あなたの出版社から出させて下さいは弱者の立場からの話になる。
今こういうの流行ってるから変えて欲しいと言われる。 
アニメ私塾は勝手にノウハウツイートをしてて出版社側から声がかかった。
 かなり作りたいものを作らせて頂いた。
侵入角は大事‼︎

ツイッターにタダのせは売れないか? 
そんなことはない。 
ほぼツイートしてるノウハウまとめ集がコミケで数百冊が一瞬で売れる。 
むしろ知らないモノは誰も買わない。 
お金は情報を得るためではなく、支持表明や確認行為に使われる時代。 無料で出したら売れないは一昔前のパラダイム

◯今、自主制作アニメを作るなら・・・ 
毎日、企画書、キャラ表、世界観設定をツイート。 
意見も随時受け付け。 
予告までは自分で作る。
そこから先はクラファンとかネット投げ銭で規模を決めて作るかどうか・・・ 
こういうのが無数にある状態になればその中からレジェンドが生まれる。

◯新海さんのすごいところは最初から「アニメ原作者」・・・ 
アニメ業界入って、アニメーターやって、各話演出やって原作付き監督やってその中で人気と知名度があってはじめて「原作、監督」になれるけどそんな人一握り。
すごい遠回りなルート。
これまた侵入角の大事さ。

◯誰も表現活動を止められない・・・ ・
ネットで勝手に連載して一人出版社、YouTubeで公開して一人放送局。 
iPadProとせいぜいノーパソ一台。 
つまり表現の場も道具も用意されている。 
巨大な中間業者はいらない。 
いきなり世に問う。
 出版社やアニメ業界に退けられても表現をやめない!!

◯上手くなる2パターン使い分け

◯上手くなる2パターン使い分け 
・複数の形を覚える(拡張) 
・一つの形を使い慣れる(熟成) 絵の上達はこの拡張と熟成2パターンあります。
両方を交互意識するといい。
ちなみに僕はアニメ仕事では… 作監=熟成、原画=拡張を意識してました。 
またアマ時代は… 自主制作=熟成、練習=拡張でした

〇料理下手な人が最大限美味しく作るためには… レシピ通りに手順と配分を間違えなく作ること。 
それがシンドイから面倒くさがって適当に作ると出来たメシが不味いので材料と時間が勿体ないから結果として料理をあまりしなくなる。 
・料理=絵 ・レシピ=模写、参考 ・メシ=絵 代入してみよう

〇レシピを暗記したら… 和洋中の似た構造に気づく。 
肉じゃがもカレーも同じじゃないかと気づく。 
その時にはじめてレシピなしで勝手に有り合わせで美味い料理が作れる。 
僕は下手な時に絶対に何かを見ながら描いてました。 
今も曖昧なモノは見ます。

若手、中堅スーパーアニメーターの一人の上達の仕方。 
実写をトレスor半ロトスコしてたら気がついたら何も見なくてもそういう動きや超絶デッサン力が身についていた。 
みんな実写を下敷きになぞるのは卑怯だとでも思っているのかな? 
そもそも素材選びや使い方組み合わせが難しいしそこに創造性がいる

脳内にいい絵が落ちてくるのを待っている・・・ ってあんたどんだけ巨匠ですか? 
それは巨匠のやりよう。 全てを試しあらゆる表現ストックがあった上で本当に描きたいモノを模索している状態がそれ。 
何も入っていない人はひたすら描きたいイメージ好きな表現を
「探す、調べる、インプット」

〇上手い人のスケブの魅力とは…

〇上手い人のスケブの魅力とは…
描きたいモノの羅列になっている。 
描きたい欲求が溢れ出ている。
多少の形の崩れを補ってあまりある魅力とはまさに… 
「自分に正直」に描いてること。 
義務感、就活目的、傾向と対策スケブの萎え萎え感はまさにこれと対極にあるわかりやすい例。

〇上手く見える絵は結果論 その根底にまずは描き手のこれでもかという表現欲求があり妄想がてんこ盛り。 
それはある種の光を放っている。
欲望光。 
だから本来の練習や下調べはこの欲求を喚起するもののハズ。
 義務感、しんどい勉強の再現であってはいけない。 
常に興味シンシンじゃないと。

〇自分の中の好みが一番 
二番目に自分の好みを強化するために他人のやり方を参考にする‼︎ 
質問魔の問題点はまさにこの逆転による。 
感覚を他人に委ねすぎたら楽しくないし、描く意味なくなる。
模写するときに「うわースゲー好き、なるほど」と感覚が活性化した状態で描く。
義務感で描かない。

◯画力カーストからの脱却!!

◯画力カーストからの脱却!!
絵が上手くなりたい!!
その一心で絵が上手い人を尊敬!!…まではいいんだけど。 
その先で上手い人が言うこと全部正しい!!
…まで行くとマズイ。
画力カースト盲信は上手くなる過渡期にはいいが徐々に自分の首を絞めて行く。
99%は最終的に自分を卑下することになる

◯画力カースト脱却方法
厳密に言えばみんな描きたいものは違う。 
そりゃそうで憧れの絵描きと自分は違う人。 
だからその本人以上になることはない。 
誰かに憧れるのは当然としてもその先で自分のやりたいことと向き合い「他人は他人、自分は自分」の境地に立つ。 
成長とともに様々な物差しを持つ。

◯別に好きじゃねえし…と勇気を持って言う
すごい頭のいい人かむしろ不真面目な上下2割を除いて… 
中間8割の中で「真面目な人」ほど画力カーストを盲信し、自分を卑下し、本当はそこまで描きたいわけでないモノを仕事だからと日々描いてしまう。 
描くのが好きじゃない=「落ちこぼれ」ではない

不真面目→本能的にカーストの嘘に気づいている人(エリートヤンキー) 
頭のいい→理論的にカーストの嘘に気づいている人 世の中の成功者はこのどちらかが多い。 
中間8割は他人に価値観を委ねているので「本当に楽しい人生」という意味で成功している人は少ないと思う。

2022年塾生T ・Hさん受講感想「受講してよかったこと」

  私塾の申し込み締め切りが間もなくに迫り、キャラコース受講中のわたしも残る課題が3月分の2回となりました。 去年キャラコースに申し込んでからもう1年が経とうとしてるんですね〜 ここでこの1年(正確には11ヶ月)を振り返りたいと思います。 受講を迷ってる方にも、判断材料になれば!...