自分の絵柄は受けないから…
プロになれないんじゃなくて自己満足の拡張の先でしか他人は喜んでくれない。
ここで自己満足の拡張のために必要になるのが自分が求める表現のための技術向上であり、先人の模倣になる。
やりたくないことはできない。
つまり様々はことを知っている、興味がある、なんでも描ける方がこの他者満足の範囲に入りやすい。
つまり様々はことを知っている、興味がある、なんでも描ける方がこの他者満足の範囲に入りやすい。
無論一発ギャグのように「個性的なテイスト」がたまたま当たる場合もあるがそれを狙うのはこれまた無謀。
この図を見ると究極のアマチュアイズムの先に究極のプロになることもわかる。
この図を見ると究極のアマチュアイズムの先に究極のプロになることもわかる。
自己満足の範囲が広いだけでなく「深い」場合もある。
つまりほとんどの他人は満足しなくても点のように見える狭いものがとてつもなく深い場合はそこに価値が見出される場合もある。
この図を見ると究極のアマチュアイズムの先に究極のプロになることもわかる。
この図を見ると究極のアマチュアイズムの先に究極のプロになることもわかる。
自己満足の範囲が広いだけでなく「深い」場合もある。
つまりほとんどの他人は満足しなくても点のように見える狭いものがとてつもなく深い場合はそこに価値が見出される場合もある。
「不本意な時間」を過ごすというのもこれまたプロレベルに昇華してしまうとマズイ。
「不本意な時間」を過ごすというのもこれまたプロレベルに昇華してしまうとマズイ。
AIができなくて人にのみできることはまさに自己満足。
自己満足できない仕事ほどデジタルに取って代わられやすい。
今、高級高尚とされる…だけど人がやるにはつまらない職業全部がある日なくなる可能性がある。
この図はある意味残酷で…
この図はある意味残酷で…
運が悪いから、絵柄が受けないから、環境が、境遇が、学歴がなどあらゆる言い訳を許さない意味もある。
プロになれないのは要するに力量が練度が足りないだけという図でもある。
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