2018年4月22日日曜日

Q、以前、大学生の方を一から育て上げたメソッドをご教授ください。

Q、以前、大学生の方を一からアニメーターに育て上げたメソッドの、練習の順序をご教授ください。(某村参加者)

A、電脳コイルの模写、トレス、ポーズ創作、空間レイアウト。
…その時の内容のより完成度の高い課題が現在のプロ養成コースになります。しかしその学生は1日8時間、毎日、半年描き続けてなんとか下請け動画スタジオに入りました。
その子の名前を検索したところ2014年まで作品名は出ますがその後はわかりません。

「アニメーターなりたい」だけでは正直ならない方がいい。
「アニメーターになって〇〇をしたい」という先の具体的なイメージがなければ絶対にならない方がいいです。
・上手いカットを描きたい
・好きな作品に参加したい
・アニメーションそのものを極めたい
・演出監督志望。
・とにかく絵で食べたい。…など
具体的な目標がありそれに対して期限つきで達成できるかどうかをを計画します。
望む成果が出ない場合はやはりその時点でやめます。
このように具体的なイメージや計画なしにアニメーターになることは極めて危険です。

そしてアニメーターになると何より好きな絵を描けなくなります。
毎日、全然描きたくない煙の月だってあります。
キャラのアップのカットばかりが来るわけではありません。

最高にクリエイティブは何より「アマチュア」なのです。
趣味が最高の創造性豊かな現場です。
アニメーターも実は他と同じ仕事の一種であり、責任を伴い、嫌な先輩も同僚もいます。

それを全部ひっくるめてもアニメーターに魅力を感じる、ならずにはいられないというのではあれば挑戦してください。

2018年4月20日金曜日

「わかる」ためのアプローチ

◯とりあえず横顔を探そう!!※初心者コース課題へのアドバイス…
正面や斜め顔だけから横顔を描くのは相当な難易度ウルトラCクラスの難しさがあります。
もしも横顔が苦手、描けないとしたらそれは当然です。
わからないものは描けません。
だからまず描く前に「わかる」ためのアプローチが必要。
じつはそれさえも熟練者は長けています。
つまり自分がわからない自覚が速攻であり、すぐに調べる。
みなさんでしたらまず身近に過去のアニメ私塾の添削が無数に調べられるのでまず見るだけ見る。
それで何度も出てくる注意点はおそらく死守すべきポイントだろうからそれくらいは守る。
「自分の描きたいキャラの横顔を見つけられませんでした」と言う人…
実は横顔なんて何パターンもありません。
美少女、美青年、名作路線、リアル…せいぜいそのどれかかその組み合わせ。
類似キャラでおそらく7、8割はトレースできます。
これも細部を見ずに全体の構造を見ればわかります。
…ということさえも実は成長するポイントなので類似キャラを探すというアプローチを一つおぼえてください。

2018年4月17日火曜日

疑い、迷い、形にする。思考は無意味。

疑い、迷い、形にする 自分の絵は形が合ってるか? 疑いながら見る。時に実物や資料を見ながら、手癖による歪みを気にして紙を裏返しながら。 線半本分のせめぎ合いで迷いつつなんとか最後は形にする。 そういう創作過程が絵から丸わかりだったりする。 知ったかぶり淡白だと上手くなりません。

絵は自問自答の具現化だったりする。 だから上手くなる=自己拡張に近い感覚。 まるで禅問答。 自分で考えるな‼︎ 見たまま、思い込みを入れずに自然な形を辿れ…などまさに修行のようなそんな要素がある。 傲慢もビビリも両方絵に出る。 絵は自分を照らす鏡だから本当に面白い。

自分で考えると描き方が拡張しない。 自分で考えることをさも良いことのようにみんな考えるがそうではない。 思い込みを強化するだけだ。 上手くなる描き方、考え方をひたすら探せ、探れ。 その中から吸収したいモノを選べ。 選んで残ったものが個性だ!

考えることが無意味な理由。 紙の上で何万時間悩んだところで一切上手くならない。 まず描いてみる。 描けないことを自覚する。 描く方法を探す。 上手い人の真似をする。 実物を観察する… インストールされてない人が頭から何を絞り出そうとしても何も出ない。

考えた挙句にゼロから構築しやすい木偶人形パターンを編み出してみる。 それも一つのアプローチだ。 しかしそのやり方で行ける限界が自ずと決まっている。 肩、腰の可動域が木偶では再現出来ない。 だから実物をあるがまま取り込んだ方がはやい。 自分の考え=木偶はゴールへのノイズでしかなくなる。

思考が上位存在であり尊いという発想が思い込みに過ぎない。 思考そのものにオリジナルなんかそもそもない。 子供のころから常に誰かの影響の組み合わせでしかない。 子供は難しく考えずに素直に真似してインストールしちゃうからおぼえがはやい。 学ぶ=マネぶ。

自分の思考を信じてオリジナルの絵柄を求めてなるべく漫画、アニメを見ないで描いてみる… そうするとあら不思議。 どこかで見たことあるような何かの出来損ないみたいになる。

漫画、アニメを一切見ずにそれらを描けるわけない。 子供の頃には何かしら見てる。 その影響は絶対に出る。 だったらむしろ積極的に大量の情報を浴びてその中から新しい組み合わせを考えた方がいい。

美少女アニメを作るのに美少女アニメだけを参考にすると当然ながら縮小再生産になる。 他にアート、ファション、映画、あるいは過去のテイストなどを取り入れたら新鮮になる。

勉強よりも楽しいを優先‼︎

◯勉強よりも楽しいを優先‼︎ アニメ私塾なのでどうしても上手くなること、勉強になることを塾生は目指してしまうのは当然かもしれない。 しかし絵は遊び心や楽しいがベースにないと魅力的な絵にならない。 学校の高得点を受ける発想からいかに自分が絵を楽しん描くかの満足レベルを意識しよう。

塾内でいい評価を受けることが最終目標じゃなくては将来描きたいイメージのための準備の筈。 課題内容の縛りは受講内容上仕方ないとしてその中で最大限自分を喜ばせる一発を考えよう。 多分はそれは結果として他人も楽しませる。

◯隣の高校生の参考書の山 基礎教養はないより絶対あった方が良いのはわかるが… 自分がこれから同じことして今の自分まで登るのはシンドイと思ってしまう。
うちの子はYouTubeで排便の仕組みに夢中で見てる。結構難しい器官名までペラペラ言ってる。 もうちょっとないもんですかね教育…

概論でいいなら ・100分で名著 ・映像の20世紀 ・アニメ漫画映画 …など基礎教養になることは娯楽の範囲で結構ある。 銀英伝はいまだに生きる指針になってるし。 学校の教科書よりそっちが人生の教科書になってるなあ。

好きな絵を描いていいんですか?

◯好きな絵を描いていいんですか? クロッキー、デッサン難しい美術史勉強しないと絵描きになっちゃいけないと思ってた塾生さんがいて。 いや、僕もそういう美大予備校みたいのやったことないけど絵で食ってますみたいな話にこの前のオフ会になった。

アニメ私塾のシルエット切り取り方はアレは似たようなこと美大予備校でもやるらしいです。 すごく絵が上手かったら何描いても楽しいだろうけど、そこまでじゃない人はとりあえず描いてて楽しいのと描く習慣を作ることが一番。無理に上手くなろうとはじめから欲張らない。

僕も田舎にいて子供の頃は「文部大臣賞」でも取らないと絵描きにになっちゃいけないのかなあ?くらいにかなり的外れに思ってたが。 身の回りのアニメーターはそんなの子供時代とってなければ美大出身すらマイナー。 学歴、経歴一切不問。 アニメっぽい絵が色んな角度で生き生き描ければ誰でもなれる。

「虎の威を借りれる」既存の業界

既存の業界の良い点当然ながら… 「虎の威を借りれる」 個人ではあってくれないけど会社名であってくれる。 有名作品やってたらしいという注目してくれる。 だからその立場を存分に利用してやりたいことやればいい。 しかし自分が虎と勘違いしないように注意。

以前ある有名会社の簡単な仕事を受けた時に自分が社長の代理人ですという自覚がない人が担当だった。 社長にこんな不明瞭なメールするのか?という内容が届いた。 自社の社長は社長様でなく手前どもになり、取引先は貴方になるワケで。 入り口は虎の威を借りておいて個人に切り替えるのはおかしい。

給料が大卒初任給でマシだから、世間体が良いからという理由くらいで虎の威を借りちゃうと痛い目にあう。 そこら辺の本質の自覚がない「目先のお金と心の奴隷」は絶対に楽しい時間を過ごせずに不平不満ばかり言うようになる。

個人から見ると社員の利点がめちゃくちゃあるワケで。 無論、全部自分の仕事と言えない部分もあるけど。 既存の業界か個人かはお互いの長所短所をよく自覚した上で使いワケた方がいい。 どちらも自覚がないと本当に不平不満で終わる。

まるで既存の業界のように保守的な個人はまるで利点を生かしてないワケで更新頻度が低いとか。 そう言うのがそもそも向いてないならドッシリと虎に囲ってもらえばいいし。 自分の向いてないこと、自覚ないことやってしまうと大概上手く行かなくなってしまう。

特にやりたいことがないのに独立のスタイルばかりに憧れてる人はやっぱりだめで。 こういうこと言えば既存業界ダメ独立だあ‼︎になってその後が続かない人も多い。 いつも最適解はどっちかよりの間かもしれない。

アニメ私塾の無料ノウハウ

アニメ私塾の無料ノウハウは評価経済的な有意性が高いから。 有料会員のみ見れますよってサービスはそもそもにして本体の知名度が低ければ誰も見ないので今時でない。 むしろ、アニメ私塾本体との距離によりマネタイズを考えてるので一番わかりやすい情報はネットで十分勉強になります。

アニメ私塾生は距離が近い。 月3回添削、そのうち一回はネット又はオフで直接話しながら添削。 ネット村は参加者同士の交流。 明確な添削サービスはないが室井に来た質問はほとんど答えている。 ツイッターの質問は面白いかどうかだけでリアクションしてます。

名前が匿名で活動が不明瞭な方の質問はこちらも返答義務はありません。 相手に何かを求めるのに自分は何を差し出すのか?逆の立場から考えてみましょう。 相手が塾生でもネット村でもないけど絡むとしたら面白い活動という何かを差し出してるからです。

ユーザー→ネット→既存業界→‥の循環系

◯ユーザー→ネット→既存業界→‥の循環系 出版のお声がけはネットでの活動から目をつけてもらい、さらに本の中身は塾生に教えてる内容が大量にあるので書くことがいくらでもあった。 つまり本自体が簡易まとめで一番濃いのは塾生やネットで教えていること。 さらに本で興味を持った人が塾生になってくれる。

毎日塾生と向き合ってなければネットや本の中身がスカスカになる。塾生の先には同じような悩みを抱える人が何十万人単位でいる。 なのでリアルユーザーとまずはしっかり接触し、その成果をネット、既存メディアにのっけて循環というのはアニメ私塾に限らずに使える考え方だと思う。

現プロ養成コースしか以前は1年目受講内容になかった。 アニメーターになること前提課題なので難しい。 途中の脱落者が毎年多かった。そこでひたすら好きを追求する初心者コースを開設した。 そうしたら思わぬことに初心者→プロ養成の塾生の出来栄えがかなり良く、滑らかな上達カーブを描けてる

既存の業界になくて個人にあるものは「スピード感」。 出版なら早くて半年、アニメなら今立てている企画が二、三年後に世にでる。 よほど時代を読む先見性があるかまぐれ当たり頼みになるかのどちらかになってしまう。 Twitter、YouTubeは今この時すぐにユーザーと直結する。 絵描きが使わない手はない。

一般企業なら…ハンコ、書類作成、上司のオッケー、予算作成、スポンサーにお伺い…等思いつきが形になるのに莫大な手間と時間がかかる。 その間にトレンドは変わってしまうかもしれない。 …なのでもし自主制作でやるならテレビの出来損ないではなく全く違う極めてニッチなしかし数千人が喜ぶ内容。

だから今の思いつきを速攻でネットにアップしよう。 既存業界のトップになくて絵描きにあるものは今絵を描くこと。 その当たり前の利点を最大限生かせるのがネットメディア。 そういう自覚がないとなんとなく飯ゲームツイートしてしまう。 …それもいいけど。 まあ絵で食うってそれくらい野心的なこと

つい20年前まで個人発信はほぼ不可能だった。 メディアとは超大金持ちにだけ許される特権だった。 それが個人レベルで影響力を持てるようになった「今」の意味を自覚しよう。 バックグランド抜きになんとなくやってもなんとなくにしかならない。

独立が難しかったら既存の業界に入ろう!!

◯今、絵で食っていくためには… ⑴毎日、Twitterに絵をアップ ⑵既存の業界に入る ⑶ネットで拡散しつつ独立 ⑴で他人を意識して描く、お気にリツ稼ぎによりニーズに敏感になる。 ⑵なしでいきなり⑶は逆に突出した能力がいる。自信がない人ほど入るべし。

最近の若者は実は⑴を既にナチュラルにやっちゃってる人が多くて。 それっておじさん世代からしたらもう独立の準備そのもの。 大事なことは⑵の間も独自に発信し続けること。 既存の業界はゴールではない。 あくまでやりたいを成すための手段。

⑵の良いところはマネタイズに値する技術を身につけられる。素人レベルからの脱却。 薄給、ブラックといわれつつしかしこれも事実。 YouTubeで何十万再生、Twitterリツお気にがコンスタント数千、のモンスターアカなら⑵なしでいきなり⑶に行ける。 だから自信がない人はとりあえず⑵がオススメ。

さらにご近所の業界も常に視野に入れる。アニメーターなら3D、ゲーム、イラストなど画力を転用しやすい業界。いづれにせよある程度上手くなんないと何処にも誰にも見向きもされないので若いうちは自分育てに集中した方がいい。

自分語りをすれば、 学生時代コンペで賞貰った時点で独立を考えたが勝算が見えずにアニメ業界に入りとりあえず上手くなることだけ考えて、しかし業界5年目くらいから企画立てたり、漫画書いたり、教えてみたり、独立の芽は常に撒いていてアニメ私塾になった。

独立を考えはじめて5年はアニメ業界にいた。絵コンテ演出、ほぼ一人原画まで試した段階でこれ以上いても同じ事の繰り返しになると結論付けアニメ私塾をはじめた。 しかし私塾も上手く行かなかったらまた業界の仕事しようくらいに思ってたがおかげさまで今のところそうならずに完全離陸した。

アニメ業界の実績が増えなくてアニメ私塾は上手く行くのか? 独立時に心配した人がいたが‥ 「アニメ私塾の活動そのもの」が今は実績となり、そう言えばうちの塾長昔、エヴァやってたらしいよ、へー知らなかった‥という塾生がいるくらい。

業界にいればそこでの価値基準しかなくなるが外に出ればまた別の一般の評価がある。
しかし独立の際にはやはりアニメ業界での実績は初動でフルに活用させて頂いた。 大気圏外に出るために次々とロケットを切り離すイメージ。 そしてアニメ私塾さえも次にやりたい何かのブースターかもしれない。

今もしも20代で絵を生業にするべく活動中なら‥ ⑴ネットメディアを駆使していきなり独立を狙う ⑵⑴で頭うちになれば既存の業界のプロになる ⑶⑵で力をためて独立、やたは⑵との混合。 現に同人活動もしてるアニメーターも沢山いて、アニメ業界の仕事はむしろ同人を売るための人すらいる。
どれが王道、邪道はなくて‥ 自分にしっかりフィットして面白くて仕方ないことが王道でやりたくないことは邪道。

アニメ私塾も創設5年目にしてややマンネリ感が出たところでお声がけいただいた出版社のおかげで次のステージに行けた気がする。 このようにあちらがダメならこちらと臨機応変に状況により最適解を探る。


◉漫画家、アニメーターと並列に見ると根本的におかしいかも… ・漫画家→経営者、原作、脚本、監督、キャラデザ、作画監督を兼務 ・アニメーター→チーフアシスタントor普通のアシさん なので作画のみの漫画家さんとキャラデザ総作画監督、メインアニメーターがかなりポジションとしてニアミス。

なので編集と逐一コミュをとり、アシスタントに指示出しが普通の漫画家さんはアニメ業界風で言えばバリバリの監督みたいなコミュ力がある。 さらに売れる売れないがシビアに直結してるので経営者としての采配もあり、自身の「名前」が一番の看板でやってるところは根本的なアニメーターとの違い。

アニメ業界で名前=作風まで行けてる監督と言えば有名なあの人とこの人くらい。アニメ業界の監督の9割は現場とスポンサーを繋ぐ中間管理職に近い。 なのでめちゃくちゃ絵が上手い人が監督やってるわけじゃない。 そういう人もいるけど。 それよりも場を取りまとめる人が重宝される。

トップは能力を一点に集中しているためにトップでいるわけで。 それ以外の多くの人は一点に集中できない分、単一ヒエラルキーでは下になるのであって実は他の能力を掘っていないだけかもしれない。 自分は一方でそこまでの才能がない場合は他方にその分のキャパがあるかもしれない。

よくアニメーターにならずに結局いい歳まバイトしてました… という人がいるけどその当たり前にできてる「バイト」ができないからアニメーターやってるんだけどね…というくらいに絵描きというのは一方ですごい能力を生み、一方で大きな欠損があるんですよ。 憧れているだけだと欠損の方を見ない。

学校の先生は特別ではない!!

◯学校の先生は特別ではない!! ある地域に住んでいてたまたまそこの学校にいったらいる人が学校の先生。過大にも過少にも評価する必要ない。本当にそれだけ。 先生を特別な存在に感じるならばむしろ「短い子供時間」そのものが特別。 自分で選んだ先生でもない人の評価を過大に気にする必要はない。

大人なればそう思える。 ずるい先生も真っ当な先生もいる。 しかしそれは大人の一種に過ぎない。 ただ教職とった学生がそのまま職業として教員になった。 冷静に見れば絶対的な存在なはずがない。 親や先生に「ああいわれた。こう言われた」を過剰に気にする必要ない。 本当にただの普通の大人です。

「やっても意味ないからやめようぜ…」 過疎の中学校で中体連の人数合わせのためだけの砲丸投げの練習をしてる時に運動音痴の同級生にそういったら担当の先生がブチ切れたw その同級生は砲丸投げなんてやりたくもなければ、勝てるわけでもない。

なんでこの先生そんなに怒るんだろうか?と不思議に思った。 うちの妻も高校時代に…「過去の歴史は無意味だからこれからどうなるか教えてくれ」と言ってブチ切れられたらしい。 実はこれが学校の本質「上司に従順に無意味なことをやり続ける」。 賢くすることが本質ではない。

先生個人の資質や人格の問題ではなくて先生自体もその上の教育委員会や文科省など上層組織の「上司に従順に無意味なことをやり続ける」を実行してるに過ぎないので非難しても仕方ない。 ・・・そういうモノだから過大に「学校での評価」を気にする必要はない。 世の中の評価軸全く違うので。

親戚の子が今度、高校に行くようになったので志望の動機を聞いたら… 「偏差値的に合ってた…」から。そのために一時間以上の通学をする。 年頃になるとイキイキ笑わなくなるのは下らない虚構の物差しではかられるようになるから。 その通学時間でやりたいことやれば3年間ですごいことできるぞ!!

技術は知識に限定される

◯技術は知識に限定される アニメスタジオは島宇宙の感がある。 つまりスタジオの系譜上で技術体系が決まっている。 起源で言えば東映、虫プロ、タツノコとか。 同じ島宇宙にいればその世界での最高を超えることは絶対にない。 他の島宇宙を知っていることはすごい武器になる。

こっちの先輩はこういう描き方。 あっちの先輩はああいう描き方してたなあ…。 その島宇宙のトップにそれがあれば各々が正解だろう。 自分の中の正解はその中で一番いいなあと思ういいとこ取り。 どんなに有名らしくても自分にフィットしないものはしかたない。 強く感動したものに従ったほうがいい。

絵の現場では結局画力でしか力関係が言えないので… 「他の先輩はこう言ってました!!」と言っても無意味。 自分が相手より上手ければ相手も黙らざるを得なくなるわけで。 自分が相手より下手なら、もっといい理想を知っていても従わざるを得ない。

だけど今は出来ないかも知れないけど高い理想を知っているのはすごい武器になる。 理想を前提に伸びしろを設定できるからだ。 一箇所の1パターンしか知らなければそれ以上にならない。 本当にそこの差は経験を積めば積むほど差が歴然となる。

ただ描いたことないだけ…

◯ただ描いたことないだけ… 頭の性能が悪いから描けないんじゃない。 才能がないから描けないのでもない。 描いたことないから描けない。 単純に数の問題。 サラサラと描ける人はただそれを描いたことあるだけ。 描けないものを放っておかずに… 「上手い絵を選んで描く経験を積む」才能はある。

もっと言えばそこらの人が気にもとめない絵を… 「これ上手いなあ…自分も描きたい」と思って人知れず何度も描いて気づいたら描けるようになっている感度こそが才能かも知れない。 表層の上手さだけに憧れても意味がない。 上手い人はとにかく「感度」が半端ない。 一枚の絵に対して何倍も感動している

感動に基づいた絵でないと上手くならない。 感動=脳みそが活性化しフル回転でいろんな妄想込みで絵になって行く。 気持ち萎え萎えで描いてると上手くならない。 例えばいきなりリアルなデッサンで気持ち萎え萎えの人はとりあえずお得意の美少女、美青年でも描いていた方がいい。

すなわち上達とは感動を拡張することでもある。 つまり路傍の石だって感動してかっこよく描けるようになってしまう感度。 それはいろんな表現を学んで行くうちに獲得して行くもの。 感動さえも実は獲得するものだ。 つまり才能とは獲得して行くもの。

「落ち込む」は幻想

才能の差とは何か? 仮説だが一つだけ言えるのは興味の量、それにかけた時間の差だ。 興味のあることはいくらでも考えられる、時間をかけられる。 興味ないことはその逆。 これが俗に言う「向き不向き」。 体が目的方向を常に向いてるかどうか? これが一番の才能差。

だから私は才能がないと落ち込む必要はない。 一方に向かう熱量が低いだけで他へのキャパを残してるかもしれないからだ。 アニメは見るのは好きだけど作るほどじゃない。むしろアニメっぽいイラストを描きたい‼︎とか言葉にできる勇気と自己認識はとても大事。

周りがスタジオがと空気に押し潰されずに自分の好みを忘れずにいないと意に添わぬ不向きなことを永遠にやることになるから注意。 努力で興味の範囲は多少広がるが向いてないモノは向いてないのだ。

才能がなくて落ち込むって言うのは意訳すれば… 「憧れのあの人みたいに才能がない自分に落ち込む」 ワケだが最初から同じ人は2人といないので落ち込む必要はない。 むしろ、他人の吸収したいところを頑なにならずにどんどん興味の範囲で受け入れればいいだけ。 落ち込むの正体は幻想に過ぎない。

才能豊かに見えるあの人は自分が大事にしてる何かを失って得た能力かもしれない。 ゲームの時間か友人と群れてる時間か…とにかくいいとこどりなんて出来ない。 多分憧れの人の本当の生活を見たら「そこまではちょっと…」と思うはずだ。 これがすなわち落ち込みが幻想であるもう一つの側面。

さらに言えば落ち込むの正体は「価値基準が一方的」な視野の狭い状態で自分の位置が低くくて落ち込む。 例えば画力カーストの世界にいればそれがすなわち自分の価値そのものになり自己否定につながる。 それも自分の一つの能力に過ぎないと思えば下手にねじれずに経験不足を認めて吸収すればいいだけ。

落ち込むことはありますか? と聞かれれば… 「今はやりたいことと自分の役割で手一杯なのでそんな暇ありません」と答えます。 落ち込む=幻想と現実のすり合わせ時間なので青い時代はたくさん落ち込んで、自他の認識力をしっかり上げてやるべきことを着々と進めよう。そうすれば落ち込まなくなる。

統計的に弱点を分析!!

◯塾生を個人攻撃しない理由 添削結果等を見ればわかるがしない。 なぜなら添削は一塾生だけでなく多くの塾生に向けた修正でもあるから。 その塾生個人の問題以上に… 「どんな人も無意識に描くとそうなるよねー」という共通の認知、階段があるから。 全くのイレギュラーケースはまずいない。

私が個人的に愚かゆえにこうなってしまいます…というよりも過去の統計的にさもありなんですねという…いわゆる個性から切り離した一般化したコメントをする。 意識してなかっただけなら今から意識すればいい。 逆に言えば落ち込む暇なんかない。 ただ沢山描いて認知レベルを少しずつ上げていこう

だから上手く描けないのに個性なんか気にしない。 とにかく相手に誤解なく伝わる形、表現を追求すればいい。 無数の経験の中でどうやっても隠せない溢れ出るその人らしさが個性だ。 稚拙な個性はそれが一見奇抜でもどこかでみたことある一種の記号でしかない。

奇抜なアイデアは違和感

新しいアイデアって言うのは何も突拍子もない奇想天外な思い付きではなくて。 むしろ今まで当たり前にあったメジャーなものを他分野にアレンジして導入すること。 そのためには抽象度を上げて世界を見る。 新しいとは組み合わせが新しいということ。

むしろあまりに奇抜なアイデアは違和感として受け入れられない。 現在までの全否定はなかなか理解してもら得ないから滑らかな接木、アップデートが大事。 どんなに正しくて先進的でも受け入れられないとしたら侵入角が間違ってる。 侵入角さえも配慮がいる。 熱い想いだけでは伝わらない。

形がとれないなら迷え!!そして見ろ!!

◯迷い線の大事さ 全然形とれてないのに迷い線が一切ないのはヤバイ。 上手くならない。 形とれてないならもっと焦れよ。迷えよ。 無数の経験の果てに迷いは減りますが経験が浅いのに迷いがないのは淡白です。 下手ならそりゃ紙が真っ黒になって当たり前。 ギリギリまで粘るこだわり大事。

不安や焦りや迷いがないと成長しない。 むしろそれらを糧に無理矢理、自分を変化させていく。 一番楽なのは変わらないこと。 変わるってことは今の自分を否定することだから痛みが伴う。 線半本分の葛藤無しに上手くならない。

◯迷い線の減らし方 とにかく見る、調べる、観察する。 そして理論武装。 どうしてこうなってるかそうなるか…観察した上で構造を理解する。 そうすれば徐々に迷い線は減ります。ラストの表情の出し方は永遠のテーマ。 むしろ淡白アッサリ迷いなし線はこれらもすっ飛ばしているから伸び代がない。

「見る、調べる、観察する、構造を理解」っていうのは要するに絵の貯金。 ずっと迷いぱなしはすなわち全然貯金されていない証拠。 迷う=わからないままにしているといつまでも早く描けない。 見ながら描くとその時は時間がかかるが最終的に理解しはじめれば早く描ける。

すなわち全然形が取れないのに迷い線が一切ないのは… 「わかった気になっている」に過ぎない。 疑問、曖昧な部分に自覚がないかそこを放置しているか。 いづれにせよ絵は自分と向き合う表現なのでわからない→即見る、調べる習慣がとにかく成長の大事な要素。 本当に下手な人ほどなんも見ない。

「無知の知」という言葉があるように自分がこれが描けて、描けない線引きが明確な人は強い。 そして描けないのは単に描いた経験少ないだけであり、その物事を知らないに過ぎない。 自分はそれを知らないし、描けない…。だから見ようかとなる。

なので実は絵に向き合う前に… ⑴相当量過去に調べたので描いた方が早い ⑵曖昧なので下調べや観察 ⑶過去の上手い表現を調べる…などのいくつかのアプローチが考えられる。 どれでもなく、ただ紙の上で捏ねくり回すのは時間の無駄。 インプットされていないものはアウトプットできない。

⑴から⑶のアプローチの末に最後にさらに迷っているのかそれとも何も自覚なくすっからかんで迷いなく描くのか…

アニメ私塾の課題では… 見ないと描けない、調べないと描けない。 さらに自撮りなど演技する。撮影して見ることが当たり前にあるので受講後にはそういうことが絵を描くととセットになっているのでそういう OB塾生は教えなくても勝手に軌道にのって方々で活躍している。 本当にただそれだけなんです。

肩腰が描けない… だったら見て描けばいい。 特に肩腰は永遠のテーマといっていいいほど難しい。 わからないままに他人の絵があるとそれがアニメ漫画上の表現として便宜上省略されているか、単に元の描き手も曖昧なままにしちゃっているかもわかるようになる。 すなわち独自の見識が生まれる。

見て描く習慣がつくと大先輩の絵の上手さがよくわかるようになる。 安彦さんうめー…これS字カーブだ、リアルの落とし込み方が美しいなあとか。 深く絵を理解し、吸収できるようになる。 表層真似っこが即効性の高い上達方法だが第二、第三ステップを望むならリアルデッサンや実物観察は避けて通れない

実物観察がないままに美少女キャラになれたまま男性キャラを描くと… 「骨盤が異様に立派な…」世にも奇妙な骨格になっていく。 実物の性差を見ず、アニメ漫画表現の記号だけでいくこういうことが起きる。

シンプルに立っているだけで凄まじく難しい…

◯シンプルに立っているだけで凄まじく難しい… ⑴全身の基本比率、手足の長さ ⑵全身のソリと重心 ⑶手足の微妙な立体 ⑷首の付け根、斜めに首はついている ⑸足元接地面の空間 ⑹耳の向き ⑺全身の正中線の統一感… 難しいポイント満載。 さらに腰に手を当てた瞬間難易度倍増!

腕を少し上げただけで肩が連動して一緒に上がり、首と肩の隙間が途端に無くなります。 これは本当にみんな描けない。 これが次に躍動感のあるポーズの布石になるポイント。

美味しんぼのご飯と味噌汁が一番難しいみたいなそんな話です。 立ちポーズ一つで過去のデッサン量や空間把握力まで顕著に出るので誤魔化しがきかない。

シンプルな積み重ねで高みへ

◯シンプルな積み重ねで高みへ ・毎日描く ・必ず見て描く ・上手い人の真似をする ・全体のバランスから細部へ ・姿勢を正して紙全体を見る ・長いストロークを引くために鉛筆長く持つ ・毎日適度な運動で体力作り ・一食は健康的な自炊(一人暮らし) ・良質なコンテンツを浴びるように見る
・優先順位を整理する
…など
これできない人多い。
夢中になる間に本当に大事なことが抜けていく。 何を死守して何を捨てるか。 取捨選択。 何かを得ようとするためには何かを捨てる。 描きたいポイントを必ず絞らないと的外れな絵になる。

意識することなんて古今東西、大して違わない。
どんな巨匠に会ったって言うことは大差ない。 いたってシンプル!! しかしそれを本当に死ぬまで愚直に続けられるかどうか? 本当にただそれだけ。 5年で大差、10年で追いつけない圧倒的な差に生活習慣、思考習慣でなる。

「仕事の流儀」「情熱大陸」その他成功者の自己啓発系(自慢話)は実は大概本気でそのまま真似したら上手くいく。 ほとんどの人は本気で真似しない。適当に真似する。継続しない。だから上手くいかない。物事の成功術は無数にないシンプル。 それに気づいて実行する人は他分野でも上手くいく

スポーツ選手の毎日のトレーニングや考え方を見てみる。 それをまるで自分のことのように感心して全く同じに絵に置き換えてやって見る。それだけで本当に上手くいく。 しかしスポーツ選手はそれはそれ。 自分と関係ありません…という人はそんな話は一切自分にプラスにならない。

絵の上達は一歩づつ積み上げて行くもの… まるでドミノのよう毎日ワンピースずつでも丁寧に数を重ねて行くもの。 囲碁や将棋に覚えがある人ならわかるがアレ、おぼえたてで有段者に絶対勝てるものではない。 無数の型、定石があってそれを一個ずつ憶えて行くしかない。 絵もまぐれ当たりは絶対にない

難しい言い方で「抽象度」を一段上げた瞬間にほとんどの上達方法が同じであることに気づく。 「抽象度」をあげて全体を見る。 つまるところ自分のやっていることが何か思い込みを捨てて分析してみる。 「抽象」⇄「具象」はそのまま絵の全体と細部の話になる。 絵は本当になんでも当てはまるから面白い

アニメタのやめ時…

アニメタのやめ時… アニメタでダメでもアイデアの掛け合わせで今時やっていける …本当だろうか? 能力は別分野との掛け算で決まる。 ・アニメタ力4×他分野力1=全体4 ・アニメタ力1×他分野力4=全体4… などアニメーターは早々にやめてもいいけどそれは他分野で突出したものを逆に要求される。

いつがやめ時なんだろうか? それは本当に人によりけり。 もちろんずっと天職に感じる人はやればいい。 素人相手に一瞬でバッバっとなんか描いて見せて「びっくり」させるとか…。 アニメーターというキャリアを活かしたいならそのくらいの画力欲しい。

アニメ業界の悪いところはどんなに上手くてもギャラの上限が決まっていること。 アニメ業界の良いところはどんなに下手でも数百円でも月数万円でもギャラがもらえること。 同じ分、以上に同人などスタジオ、作品の看板なしにやれるか? そこらへんをシビアに戦力分析する必要がある。

◉「わかりやすく上手く描けばいいんですよね?」 今ではトップアニメーターの一角に入ったAさんに5年前に塾の添削手伝いを頼んだときの彼の質問。 彼にすれば上手く描くことの方が簡単。 あえて外す。印象的にする。など次のステップを見据えて、そこまではやらなくていいんですよね?という高度な話

大事なことは… はじめる行動力、判断力と周りの良い部分をどんどん吸収しアップデートしていく柔軟性と観察眼。

自分本体がアバター化

今コレをやりたい、なりたいというのであれば即座にやろう。 しかしその衝動自体がその瞬間、その時代の流行でしかないかもしれないから100%の肩入れはせずに「本当にやりたいかコレ?」と自問自答忘れずに。初志貫徹さえもまた環境による思い込みなので。
自分本体がアバター化してく時代。 つまりゲームのハード買ったら最初のソフトだけでなく他のもやりたくなるでしょ。 複数やってみたらその中で一番好きなのはコレって言える。 絵描きで言えば、漫画アニメイラスト3D若いうちにやりたいの全部やればいい。それではじめてやりたいのわかるから。

アニメ私塾で言ってることは一切新しくないわけです。 アニメ現場での先人の知恵の外部輸出と他分野の上達方法を才能100%と信じられていた絵の世界に導入しただけ。

アニメ私塾を独特ですね、個性的ですねという人がいればそれは単に知らないだけなんです。 コレはそのまま世の名作達にも当てはまります。 元ネタを知らないとオリジナル扱いに単になるわけです。

この前某アニメ映画を見たら‥ ⑴状況、世界観説明カットなさすぎで主人公キャラ位置付け曖昧 ⑵イマジナリーライン超えまくり、カット方向性ぐちゃぐちゃ ⑶俯瞰=状況説明と主観=広角の切り替えがなく感情移入しにくい。 長編を持たせるに必要なセオリーがないと流石に厳しい気がした。

それはオリジナルと言わずに単に出来損ない、見にくい作品となってしまう。 それらを熟知した上であえて外すのと知らないのでは全く意味が違う。 素人にはわからない。 ただなんとなくつまらないという感想になる。

2022年塾生T ・Hさん受講感想「受講してよかったこと」

  私塾の申し込み締め切りが間もなくに迫り、キャラコース受講中のわたしも残る課題が3月分の2回となりました。 去年キャラコースに申し込んでからもう1年が経とうとしてるんですね〜 ここでこの1年(正確には11ヶ月)を振り返りたいと思います。 受講を迷ってる方にも、判断材料になれば!...