それだけ描いていないから。
ではなぜみんな「あいうえお」と書けるか⁈
たくさん書いたことあるから。
ここの差は実はあなたにとって必要かどうか?に掛かってくる。
普通の人は絵を描けなく生きていける。
描かないと生きていけない人が上手くなる。
センス、才能論とも関わってきますが・・
センス、才能論とも関わってきますが・・
実は忘れがちなのがもう一つ言えば絵の必要論です。
「絵を描く」とはある種、特殊な行為です。
そこには過去のトラウマ、中二気質、幼稚性などのコインの裏表関係とも言えます。
絵を描かないとバランスが取れない人が結果上手くなっていくともいえます。
子供時代のクラスメイトで絵が上手い子がみんな絵描きになっているかといえば違います。
子供時代のクラスメイトで絵が上手い子がみんな絵描きになっているかといえば違います。
それに道ゆく通行人だって確率論でいえば1/100くらい上手い人がいるかもしれない。 けど描いていない。
そういう意味で本当の意味での才能(潜在能力)と必要論では最終的に必要な人が上手くなるわけです。
画力がを付けたい動機で入塾してくる人が多いわけですが・・
画力がを付けたい動機で入塾してくる人が多いわけですが・・
結局、本人にどれだけその練習が「必要か⁈」で取り組む熱意も姿勢も変わります。
なんとなく絵心がある人はいるわけです。
その先は必要論。
食うためとか外部にモチベを求めるのはむしろ楽。
最終的には自己満が最高の動機!!
画力とはある種の凶器です。
他人へ感動という洗脳を与えることができるから。
悪く言えば絵空事で然もあるかのように見せるために騙す行為でもあります。
・・・それはまともな感覚でないですよね。
絵描き仲間では「普通の人」は結構な侮蔑表現です。
絵描きでないと同義だから。
「普通の人相手するのなんてやめなよー」
「普通の人相手するのなんてやめなよー」
・・・と逆シャアのクエスが言ってました。
富野さんがそこにどんな意味を込めたかわかりませんが、おそらく同じ意味でしょう。
普通の人へ間口を広げるのが教育ですが、結局上手くなる人は結構変わってますよ。
やっぱり。
なので結局、
「この練習で合ってますか?」
・・・という質問はあなたは何目的でその画力という凶器(狂気)を得たいか?による気はします。
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