疑問を解消することが必ずしも本人にためになるのだろうか?
と思ってあえて素っ気なく回答したりします。
回答例↓ 「臨機応変に自分なりに工夫してノウハウはカスタマイズしてください。 あとは試行錯誤を繰り返して自分に適切なやり方を探ってください」
情報くれくれになった絵描きはその時点で発信者ではなく受信者。
情報くれくれになった絵描きはその時点で発信者ではなく受信者。
表現者にあらず、消費者。
試行錯誤の過程そのものが他人のノウハウから自分のスタイルにするのに大事。
結局、他人のノウハウは使えないんですよ。
たくさん描いて自分のものにしないと。
見るより描け! そして考えるより描け!
練習方法の質問の多くは実は大して回答を知りたいわけではありません。
練習方法の質問の多くは実は大して回答を知りたいわけではありません。
ようするに「それでいいよ」と肯定して欲しいだけ。
この姿勢は即ち「ダメだったらお前のせい」という他人なすりつけの気分もあります。
つまりこういう姿勢の人は自分がないんです。
絵は自分と向き合わないと描けません
質問魔の方へ
質問魔の方へ
大いに失敗してください。
失敗しないと上手くなりません!! 失敗からしか本当の学びはありません。
失敗を恐れるがあまりに安易に質問して安易に回答を知ったところで実は何もあなたにプラスはありません。
疑問が解消されるスッキリ感が絵を描く原動力のストレスもなくします
↑補足すると・・・ つまりやっていないけどやった気になると言い換えてもいいです。
だから描かなくなる。
Twitter、pixiv見て、たくさんの教本、参考資料並べて今日もおしまいという人はそういう気分のはず。
練習方法の正解、不正解について。
練習方法の正解、不正解について。
上手くなっていれば正解、上手くなっていなければ不正解。
ただそれだけ。
だって練習って上手くなるためにやるんでしょ。
だから「この練習方法で合ってますか?」と聞かれれば
「僕は上手くなってますか?」と聞かれるのと同義で見ないとわからないです。
全く描いていない人など机に座ってなんでもいいから1日1時間描いたらそれで絶対に描く前より上手くなっているんだから何を描いても正解でしょ。
つまり正しい練習方法は・・・
第一に「描くのが正解」「描かないのが不正解」。
まずは「量」。
その先で「質」にこだわる。
いつも為になる記事をありがとうございます!
返信削除僕も最近絵を描き始めたのですが、自分の気づかぬ内に質問魔になっていました。仰るとおりでまさにやった気になってしまっていました…
結局描いて描いて描きまくって、失敗しながらあーでもないこーでもないとうんうん唸りながら試行錯誤を繰り返すことが上達への近道なんだすよね
心入れ替えて描きまくってやろうと思います!
コメントありがとうございます。
削除自分の状態を自覚して言葉にするには難しいところですがそこからがスタートですからね。
頑張ってください。
室井さんが過去に描いた絵を(練習絵でも作品でも)動画でちゃんと紹介してほしいです
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